禺画像]
西庄村の忠魂碑は、小学校の校庭にある。
ただし、戦前のものと同じではない。
「忠魂碑」という名称そのままに、昭和28(1953)8月16日に再建された。書は、衆院議長の堤康次郎。
禺画像] 忠魂碑の土台の正面に、金属板で「祭祀者芳名」がおかれている。平成2(1889)年の海津村「殉国英霊芳名誌」と違い、戦争の順番に名前が刻まれている。これは、百瀬村の「祭魂者芳名」と同様である。
禺画像] 名簿は、日清戦争から始まる。日露戦争の戦没者と合わせて転記する
日清戦争
井花 長太郎
日露戦争
久保井 友吉
黒川 幸次郎
藤田 吉之助
青谷 重太郎
青谷 富蔵
田中 仙吉
木下 龍之介
木下 和吉
橋本甚右衛門
『高島郡誌』とは、日清戦争では一致。日露戦争では、木下和吉の1名多くなっている。
これはどういうことだろうか。
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