プロコフィエフはなぜ旧ソ連にもどったのか?
2005-07-30


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●プロコフィエフはなぜ戻ってきたのだろうか?

20世紀初頭のロシア革命は、
すぐれたロシア人音楽家を祖国から遠ざける結果となりました。

たとえば、ストラヴィンスキー、グラズノフ、ラフマノニフ、プロコフィエフ。

プロコフィエフは、他の音楽家たちが二度と祖国の土を
踏まなかったこととは対照的に、旧ソ連に戻り、
そこで地位をえて、なくなりました。

なぜ、プロコフィエフはもどってきたのでしょうか?

●全面に降伏?

一柳富美子氏さんは、
プロコフィエフがソ連体制を忌み嫌っていたことを
念をおしたうえで、つぎのように答えています。

《自尊心の強いプロコフィエフは、もしかしたらスターリン体制と闘って、自分の音楽が勝てると思ったのかもしれない。だが実際には、抑圧は想像をはるかに越えて厳しく、オラトリオ『平和を見守って』(50)などの国家に迎合する曲を書かされ続け、体制に押し潰されてしまったのである。》
 −−−『ロシア』(新潮社1994年)216n

つまり、
プロコフィエフは《ソ連体制に全面的に敗北した》のだ、と。

●ロシア人だから

私は、自尊心よりも、 プロコフィエフ自身が、パリ時代に
セルジュ・モルーに語ったという次の内容のほうび
ぴったりくるように思えるのです。

《外国の空気、私のインスピレーションには向いていないのだ。
 私はロシア人だから・・・  そして私のような人間にとっては、
  亡命生活ということ、 つまり私の種族に適していない 精神的風土の
 なかにいるということは、向いていないのだ。
 私もそうだが、 ロシア人というものは、自分の国土の土を
 もって歩いているようなものだ。むろん国土全部をではない。
 ほんの少しだけ・・・
 それも最初のうちはわずかしか苦痛を感じないが、
 だんだんひどくなり、 しまいにはそのために駄目になってしまう。
 ・・・私は帰らなければならない。私はもう一度故国の雰囲気の中に
 ひたりこまなければならない。
 私はまた本当の冬を、一瞬間ごとに咲き開いてゆく春を
 みなければならないのだ。
 ロシア語が耳いっぱいにひびくのを聞き血と肉をわけた同胞たちと
 話すのだ。彼らはここには無いものを私に返してくれるだろう》と

  諸井誠『音楽の現代史』(岩波新書 1986年)
  209〜210n
     プロコフィエフのことばそのものは、
     戸田邦雄『プロコフィエフ』アテネ文庫
     から引用されている

これを信じて読めば、プロコフィエフがプロコフィエフたるために、
祖国にもどったのだろうと思われるのです。

●リヒテルはプロコフィエフをどう見ていたのか?

プロコフィエフについて リヒテルが語るところを読むと、
プロコフィエフは、むしろ、したたかであり、
無節操さえ辞さないリアリストであると思えるのです。

《プロコフィエフには悲劇的作品がほとんどありません。彼自身がどちらかといえば陽気で積極的な性格だからです。》

《セルゲイ・プロコフィエフはとても興味深い人でしたが、
 また・・・・・・危険な人でもありました。他人を壁に向かって突き飛ばしかねませんでした。》

《彼は粗暴でした。始終「申し訳ありませんが、・・・」と口ごもっていたショスタコーヴィッチとはまったく対照的でした。そう、彼は頑として、健康に満ちあふれていました。私にはむしろ好ましい性格です。それに、原理原則には縛られない人でした。もっとも、1948年に中央委員会の新音楽を断罪する集まりで、ジダーノフから形式主義に対する乱暴な非難を受けたとき、勇敢にも、相手の目をまっすぐ見据えてこう返答しましたがーーー「どんな権利があって、私にそんな口の利き方をされるんですか。」 》


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