無言館の窪島誠一郎氏の講演を聞いて
2007-05-03


●無言館

「無言館」という美術館がある。 若くして戦争で命を奪われた画学生の遺作を集めた美術館である。 今日は、その館長・窪島誠一郎氏の話を聞いた。
滋賀9条の会の集まりでである。

●窪島氏の話

窪島氏は、無言館に飾られている若い画家について語った。それはまだ画家ともいえない飛翔まえの若者のことである。
憧れの美術学校に入学した18や19歳の画学生。 しかし、戦争の最中で、入学証書と卒業証書が同時に届いたように、まともに学生としての生活を送ることも画家として大成することもできずに、戦地に狩り出された若者。
 出征の日、あと5分、あと10分でいいから、この絵を描かせてくれといって恋人の姿を描いていた若者。
 命を奪われる最後のときに、自分の愛する人の姿を描いて逝った若者。
 その絵を集めたのが無言館だという。

●愛する絵、愛する人との別れ

戦争とは、愛する人との別れであること、愛する絵との別れであることを突きつけられたひとときであった。
無言館の館長は、「千の風になって」という歌を強く否定したある女性の話をしていた。わずか3ヶ月という新婚生活のあと、戦地に送られ死んだ若い夫の思い出は残された若い妻の胸に繰り返し悲しみとして宿り、うずまき、消えることがない。 風となってまってはいないと。

●無言の絵が語るもの

いろんな思いを抱いて死んでいった人たちが日本では300万人。アジアをはじめ全世界では数千万人。悲しみの記憶は薄れ、語り部は死に絶えようとしている。悲しみと苦しさを二度とくりかえさない歯止めとなっている貴重な遺産(憲法九条)は、時代遅れのそしりをうけるまでとなった。
 おりしもTVでは、国民投票シミュレーションと題するドラマ。もはや国民投票は避けがたいという印象を広げているように見える。

無言館は、まさに無言の絵の集まり。しかし、この無言は沈黙ではない。
絵はなにかを語っている。愛する人の姿に、愛する風景のなかに、なにを聴き取るかはその人の生き方にかかわるものなのだと私は、思った。
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