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昨日、歯医者にいく前に、本屋に寄りました。
待ち時間に読もうと。
そして、この本を買いました。『まちづくりと景観』(田村明:岩波新書)
私は、イオンモール進出問題をきっかけに、集中的に「まちづくり」を考えるようになりました。そして、同じころ、高層マンション反対運動を調べるうちに、これまでなく、大津市の原風景が失われ、琵琶湖を「壁」が囲うように、高層マンションが多数建設されていることにあらためて驚きました。
琵琶湖の水質など以前から取り組んでいる問題を除けば、まちづくりと景観という主題に集約されるものです。
それとまったくぴったりのタイトルの本でした。
読んで悲しく思ったことがあります。
それは、日本の自然もまちも、かつては世界が驚くほど美しかったということです。
「日本の自然の風景は絵のように美しかったと、幕末から明治初年に訪れた外国人たちは一様に感動の言葉で綴っている。自然ばかりでなく、貧しくはあっても街並みもまた個性があり美しかった。都市や街並みを造る素材は、木や土や竹を主体にしているから自然と調和し、全体に統一感がある。住む人々の努力で、ごみ一つなく清潔に保たれていた。
(中略:イギリスは産業革命で汚れ果てたのだが)
景観は人の営みによって汚くもなり、それを回復して美しくもなる。イギリスは美しさを回復し、日本はその意識もないままに美しさを失ってきた」(58〜59ページ)
この最後の、「その意識もないままに」ということが悲しく思えるのです。
それは、琵琶湖を40年間撮影してきた中島省三さんの悲しさや、有吉佐和子さん決意、本田勝一さんの辛らつさの根にあることではないかと思います。
(中島さん→
[URL])
(有吉さん→
[URL])
(本田さん→
[URL])
いま、沖縄の自然(ジュゴンなど)が、アメリカへの従属のくびきのために、ふみにじられています。これは「敵」がはっきりしています。
米軍がいないところでは、アメリカのせいにするわけにはいきません。
自分たちが、いまなにを大切にするのか、どういうまちや、くにをつくるのかに真剣に向かい合うべきときなのだと私は思いました。
それは、「美しい国」と表現できるものであったにしても、安倍さんのいう意味とはまったくちがうものを目指したいのです。
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