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滋賀民報社が、2002年に出版した『明治・大正・昭和 近代の滋賀』を書棚に見つけました。
ここに私が、この一ヶ月の間追いかけている戦跡と関係のある記事があるはずだと思いました。
全部で4章38節ありますが、それぞれ執筆者がちがいます。
関係ある説は、
はじめて農民が戦争へ 石川正知
竹橋事件と滋賀の人々 小西賢吉
あいば野演習場と第九連隊 中島峰夫
まずはこれだけだと思い、読みました。
石川正知さんが執筆した「はじめて農民が戦争へ」は、ある女性の話から始まります。朝日新聞の記事からとったものでしたが。
それは、明治の新時代になって、いくさは武士のするものだと思っていたのに、農民がいくさに強制的に駆り出されることの驚きと悲しみを語ったものでした。
私は、これを読んで、これがいまにかかわる原点だと思いました。
村がもっともたよりにする若者が、死が待つ戦場に強制的にかりだされることの悲しみは、戦跡をたどる私が一番最初に心にいだくべきことでした。
わずか5ページほどの文章ですが、たった一枚写真が載っています。
それが、私が先日行ったばかりの「西南戦争の碑」でした。
石川さんは結んでいます。
「(西南戦争の)翌年10月、この戦没者のための慰霊塔が長等山の一角三井寺観音堂の裏手の御幸山山中に建てられました。農民や町民の息子たちが戦争に取られて死んだ最初の悲しみの記念碑です。」
そうですね、この思いが大事なのでした。
次ぎ行くときは、かならず、花束を持っていきたいと思います。
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