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1891年5月11日、ロシア皇太子ニコライは、ギリシャ王子とともに、大津に入りました。三井寺観音堂を見た後、疎水にそって三保が崎に行き、そこから船で遊覧へ。
船は、浜大津に戻り、そこから滋賀県庁へ向かい、滋賀県庁からこの道を通って先に進みました。事件がおきたのは、午後1時50分ごろです。
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車が左手に駐車しています。
その左手に電信柱があり、黄色と黒の帯がみえます。
ちょうどその横に見えるのが、「露国皇太子遭難の地の碑」
ほとんど目立たないということがいいたいのですが。
道の向こうに電車が通っています。そこが京都へ向かう道です。
さらに遠くにお寺の屋根が見えますが、
それが、ニコライが訪れた三井寺観音堂。
西南戦争の碑も同じ方向のはずです。
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