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すでに台座は失われ、墓石だけが
他の墓石と並んで積まれた状態になっています。
古ぼけた石の状態から、この墓碑が
日露戦争の犠牲者の墓碑だと思いました。
帰宅して、名簿を探すと、そこに掲載されていました。
この方は、大津営所の第九連隊に
属した兵ではありません。
工兵です。
●陸軍工兵上等兵
明治44年の大津市志はつぎのように書いています。
大津市下大門町三十八番地
陸軍工兵上等兵勲八等 羽田萬次郎
明治十五年十月八日生
明治三十五年徴兵出身現役として工兵第四大隊に属し、三十七八戦役従軍各地戦闘。明治三十八年三月七日清国小貴興堡戦闘に於て右大腿貫通銃創を受け戦死。同日叙勲八等白色桐葉章及従軍記章を授け賜ひ同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。
●無縁塚の次は
無縁塚に移された戦死者の墓碑。
それはひとつにとどまりません。
やがて、ふえていくことはあっても、
減ることはない・・・捨てられないかぎり
と思います。
国家が企てた戦争によって若くして失われた命
それが、このような形になっているのです。
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