埋もれ百体地蔵=旧いまちのよさは、時空を越える想像を掻き立てること
2007-10-26


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まちというのは、モノをつくりだすことによって栄えると思います。消費するだけのまちは考えられません。なにかを生み出そうという刺激に満ちたまちが、素敵なまちだと思います。それは、企業であってもいいし、学術機関であってもいいし、芸術集団であってもいいのです。
 大都市中心にいろんなものが集積されていきますが、全国均一的になっていて、便利だけど、変わり映えがしないと感じます。
 地方都市は、だいたいのところが人口減に悩んでいます。
 資金も人口も集中する都市圏に抗して、どう魅力をつくっていくかが問われるときなのです。

 私は、大型複合施設がどんどん進出するのを見て、資金だけではどうにもならない魅力が、旧いまちにあるはずだ、それを生かさない限り、またそれに自信をもたない限り、生き残りはないと感じました。
 儲からなければ撤退というのが、SCなどの基本戦略。逆に、まちのお店は、自らが住民ですから、撤退することなど考えられません。まちとともに生き、まちとともに暮らしていく、そういう町衆がいま生計の生命線が絶たれる危機にあります。

●新しい政治の流れ

 地方自治は、中央政府にがんじがらめにされています。それでも、地方から流れが変わりつつあります。滋賀県は、もしかしたら最先端。10月には、二つの最高裁判決があり、ともに、住民側が勝訴しました。ひとつは、永源寺第二ダム、もうひとつは、新幹線栗東新駅起債問題。
 いったん走り出したら止められないのが大型公共事業の常識でしたが、この二つの判決は、これを覆した画期的意義がありました。
 こういう力があるのです。それを、まちづくりに生かせないかと思うのです。

●埋もれ百体地蔵

 話がどんどん広がりますが、発端は小さな二つの立て札なのです。

 一つ目が上の写真の「埋れ百体地蔵」

自分の住んでいるところから、少し散歩すれば、この立て札があります。全然読んだこともなかったのですが、文字を見て、時空をこえた空想を書き立てられました。
 比叡山焼き討ち事件が目の前に蘇えり、その受難をつたえる石仏が手で触れることができるのですから。
 こういうのは、旧いまちならではの魅力ではないでしょうか。
 これが、魅力のすべてではありません。
 でも、同じ大地の上に、戦乱の時代の人々の姿がフラッシュバックのように蘇えったら、すてきじゃないでしょうか?
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