『日露戦争下の日本 ハーグ条約の命ずるままにロシア軍人捕虜の妻の日記』(エリザ・Я・シドモア)
2007-10-29


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インターネット上で、松山市に日露戦争のロシア人捕虜たちが多数収容されていたことを知りました。それほど、私は、この戦争に無知だったといえます。ロシア語科出身でもあり、近所に、「露国皇太子遭難の碑」が建っているわけですから、もう少し詳しくてもいいはずなんですが。
 それはともかく、ロシア人捕虜の妻の立場から書かれたものは、それだけでも読んでみたいと思いました。

 この本を偶然本屋で見つけて、買いました。

『日露戦争下の日本』(新人物往来社2005年)
副題が、
「ハーグ条約の命ずるままに
 ロシア軍人捕虜の妻の日記」

 本の帯には、訳者のまえがきからの引用があります。
それは、この本への導入としては、いいんじゃないかと思います。

『日露戦争のさなか、出征したひとりのロシア人外交官が、中国東北地方で重傷を負い捕虜となって四国・松山へ送られた。その通知を受けた夫人が、夫の看病のためにヨーロッパ経由で交戦中の日本に渡った。夫婦は終戦後の1905年12月に松山を去るが、彼女がロシアを出発して以来の約一年半の出来事を日記風にまとめたのが、この物語である。』

なにか、19世紀のデカブリストの妻を思い出します。
ロシア最初の革命運動といわれたデカブリストの反乱。それを行った将校の妻は、シベリア流刑となった夫のもとへ旅をするのです。

流し読みをしましたが、とても、興味深いです。
[本]
[日露戦争]

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