旧膳所藩主菩提所を訪れて
2007-11-02


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体重の調整や体力をつけるために、せいぜい歩くことにしています。大切な文書を作っているときには、なおさら、肩が張って、眠れないこともありますから。
 この2ヶ月は、墓碑に凝っているので、お寺があり、そこに墓地を見つけると、あいさつをして、少しの時間でも、拝見することにしています。
 膳所高校グランドの琵琶湖側を歩くと、ブロックの塀があります。普段は、気にも留めずに歩ききるのですが、ふと気になって内部を見ました。そして、一目で日露戦争戦死者の墓碑とわかるものを見つけました。
  見るだけなら、一二分しかかりませんので、ブロック塀の切れた裏口からお寺に入り、拝見する許可を求めました。
 いらっしゃったのは、ご住職さんの奥さんでしょうか?趣旨を述べると、少し気分を害したのか、怪訝な顔をされました。
 「うちは、旧膳所藩主の方の菩提寺で、藩主や家老さんたちの墓碑ならあります。いまも子孫の方も来られる墓地ですが、戦争で亡くなられた墓碑は存じ上げていません。でも、もしあれば、教えていただければと思います」とのことでした。
 私は、失礼なことを言ったことを後悔しました。そういうところならば、藩主さんの墓碑を拝見したいのですがと切り出すべきだったのです。
 裏口から入ったために、このお寺がどういう場所かがわからなかったのです。そういえばと頭のなかで、このお寺の位置を思い出して、「旧膳所藩主菩提所」という石碑のあったところだと悟りました。でも後の祭りです。
 差し出した名刺を手にとって眺めながら、気軽に「どうぞ」といっていただいたので、拝見することにしました。
[日露戦争]
[民間墓地の戦没者]

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