2008-02-13
禺画像]
上の写真は、旧真田山陸軍墓地の一角です。
画面の真ん中、角に清国俘虜兵の墓が見えます。
「故清国」と書かれている墓石です。
そこには、文字を埋めた痕跡があります。
これには、
「俘虜」の二文字があったと思われます。
一方、旧大津陸軍墓地には、こういう文言を埋めた
痕跡がないのは、
汝恒信と
寶少春の墓の写真を
見ていただければわかります。
では、ちがいはどこに生まれているのか?
死亡した俘虜の埋葬上の扱いについて、
陸軍省への問い合わせとその回答が残っています。
塚崎さんによれば、問い合わせを受けた
陸軍省は、国際法に照らして検討をしています。
大津の場合は、その回答をうけて、
なにも記入しなかったと思われます。
では、真田山は?
これは、わかりません。
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