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今屋花子という赤子が、亡くなった日付と歳が刻まれている痛ましい墓碑です。
旧大津陸軍墓地には、兵士や将校だけが眠っているのではありません。将校の妻、娘、息子なども、ともに眠っています。
将校たちは、生地を離れて日本各地で軍隊に勤務していきます。日本国内にとどまらないかも知れません。そうしたとき、帰るあてもない故郷にではなく、住み慣れた任地の陸軍墓地に自らと縁戚者の墓を置いたのではないでしょうか。
今屋友三郎の場合は、第九連隊長のあと、第30連隊長も経験しています。それは、大津ではないはず。なのに、退役したとき、大津で市長になっています。
なぜ、なんでしょうか?
この幼子の墓と関係があるのでしょうか?
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