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3月29日に10時間かけて、屋久島の縄文杉を見てきました。
「トロッコ道が、8.3キロ。山道が2.7キロ。合計片道11キロ、往復で22キロ、高低差700メートル、日帰り登山としては限界です。」とあるブログに書かれていたコースです。
29日から30日の日記に、その記録をアップしています。まだ、全部はアップできないでいますので、興味のある方は、「屋久島」カテゴリで時間と日をあけて、チェックしてください。
リアルタイムの日記にアップする家族の記録とは別に、私が感じたことを書いてみたいと思います。
●巨人の森の王
縄文杉そのものは、威厳がある木でした。異形といえばいいのでしょうか。その太い幹と人間の顔にも見える形態は、近づくものを威圧します。それは、まさに、巨人ぞろいの森のなかの王にふさわしいものでした。
私の期待は裏切られませんでした。
●囲われた巨人
私が興ざめに感じたことは、その巨人が人間の目に容赦なくさらされていることです。
たしかに、道が整備されたとはいえ、容易に近づくことはできません。往復10時間も歩き詰めて、わずか10数分程度、その周りに立つことができるだけです。
その意味では、非日常的な遠い存在なのです。
しかし、心無い人が縄文杉を傷つける事件があったこともあり、周りには、木組みの展望台が設けられています。
それは、ひどい言い方かも知れませんが、動物園かなにかを連想させます。目的が保護にあったとしても、やはり、自然のたたずまいを傷つけているのは否めません。
自分も見に行った一人ですから、言う資格がありません。きっとまた会いたい思うことでしょう。
矛盾したことを言っているのはよくわかりますが、人間の営みから離れて、自然の森に毅然と立っている姿に返してあげたい。動物園のなかのライオンではなく、自然に生きる王としての姿に返してあげたいと思ったのです。
●環境を守り抜く人間社会のなかで
きっとそれは不可能ではないと思いました。縄文杉だけではなく、屋久島全体が世界自然遺産に登録されたことで、私は、この島の自然への尊敬をもちました。実際にこの島に出会って、その気持ちを強めました。縄文杉が人の目に自分を晒すことで訴えていることがあるとすれば、自然への畏敬の念をもてということでしょう。
それは衝撃として見た人に伝わります。
ボールは人間に返されたわけですから、それを受け止め、行動する番ですね。
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