ブログからブログへ: BIN★からけんちゃんへ
2008-09-23


《けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト》のけんちゃんさんが、ブログ世界について書いていました。きっかけは、「ブログ論壇の誕生」(佐々木俊尚・著 文春新書)。
 私は、これを読んだことがないので、本について書くことはできません。でも、けんちゃんさんが、書いていることについて、自分のブログでも、エコーを返してみたいと思いました。
 そういうことをやろうじゃないかって誘っているように読めたからです。
 ブログって、自分で日記のように書いて、楽しめばそれでいいと思っています。アメリカや韓国のように、政治を動かすようなものでなくても、とりあえず、いいんじゃないかと。
 個人ブログ、食べ物ブログ・・・他人が読んで、「?」と思っても、読む人を不快にしようと意図しているもの以外はOKじゃないかと。
 ただ、気になる指摘が、ありました。
「結局自分の仲間内から出なくて、異質の人たちを排除する考えが言葉になっているようですね」「商売人は商売人だけ。労組は労組だけ。政党筋は同じ政党筋だけ。同じ仲間と同じ趣味で、だべって行動する。」・・・そういうブログでいいのかってことですね。
 意識的というか、そういうものをブログでやろうという人はいるでしょし、そういう場合まで、あかんでぇっていえないと思います。
 それも、サークル的というか、同じ趣味や主張の人が地域年齢などの違いを超えて、仲間が増やせるって、ブログのよさだと思うからです。
 そういう場合でも、ブログって、もっと可能性があるよっていうアドヴァイスはOKだと思いますが。
 そうそう、結局、ブログ世界をどうする、こうするは、どういう社会を望むのか、いまの社会はもう少し変わったほうがいいんじゃないかという、ところに根がある問題だと思うのです。
 けんちゃんさんは、「異質の存在や意見を受け入れ、自己主張をできるようなブログでの交流が広がれば、ブログによる世論が社会に初めて影響が与えられると思います。日本はまだまだであると」と書いています。これは、本の趣旨なんでしょうか?
 たぶん、けんちゃんさんが共感をもたれた部分なんでしょうね。
 私も、共感できる部分です。
 ブログ炎上ってありますね。これって、意図的にやられていることなんでしょうか。たぶん、そうだと思うのですが、「異質の存在や意見を受け入れ」る土壌が社会にあれば、そういう事態は少なくなると思います。
 書くほうの問題もあるんじゃないかって思うときもあります。
 みんなも当然こう思ってるだろうと思って、書いていても、実は、違和感を持つ人がいっぱいいる・・・。
 私、ブログを書いていて、わかったのです。それは、大阪の橋下知事の言動を批判的に書いたときです。当然の意見のつもりで。でも、ちがったんです。猛反対のコメントされる方がいて、「ええぇ、そういう考えもあるんだ」と実感したのです。もちろん、 すべてのコメントに納得したわけではありません。 私が反省したのは、「異質の存在や意見」があることを、十分配慮して書いていたのかどうかっていう点なんです。
 うまくいえないのですが、ブログには、いろんな楽しみ方があっていいし、サークル的でもいい。しかし、まずいことに、日本のように、タコツボ型の社会にあっては、タコツボ型の使い方が定着してしまう。もともと、それに止まらない可能性をもつツールなのに、もったいないってことですね、きっと。
 大統領選挙に影響力をあたえるブログ世界ってお話なんですけれど、政治をブログで取り上げるって、簡単じゃないと思います。炎上の危険ってこともありますけれど、現実社会での意見の分岐は生々しすぎて、ストレートに思いを書けるときとそうでないときがあります。
 そういう方向にあまり役立っていないブログだって自覚はしています。

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