20代前半の下級士族出身の若者の墓碑に
2008-10-13


禺画像]
地名の部分が読めない墓碑がありますが、
5柱の十八番大隊の兵卒の墓碑文は
だいたいわかりました。

ちなみに5名とは、(年齢は数え年)
K131 清水男外吉 (23歳で歿)
K132 長谷吉太郎 (20歳で歿)
K133 新畑 周二 (24歳で歿)
K134 辻  安次 (22歳で歿)
K135 岡田 滌良 (24歳で歿)
です。

それぞれのエントリーに内容は書いてあります。

5名の若者はすべて、20代前半。
「卒」(足軽などの下級武士)出身で
明治5年3月に兵卒として入営。
そして、4月、6月、7月、8月に「病死」。
出身地は、敦賀縣と石川縣。
彦根もしくは近辺の出身ではありません。

彦根から離れた出身地となっているのは、
もともと小浜に大阪鎮台の第一小営を
置く予定で、その近辺から兵を集めた
結果だと思えます。

出身地との関係を見てみたくなりました。

出発点は、「南保一義大尉之墓」
碑文が一番の手がかりなのですが、
摩滅しきってほとんど解読不可能です。
それでも、兵卒の墓碑と同じく5行。
最後の行の一文字目が「鎮」と読めます。

5名の兵卒の墓碑から、南保大尉にたどりつく
手がかりはあるのでしょうか?
まずは、やってみます。
[第十八番大隊]
[旧大津陸軍墓地]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット