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自分でタイトルを書いてみて、
センセーショナルな報道記事のように思いました。
しかし、事実にはちがいありません。
ある自衛隊員が15名と次々と格闘するように
求められて、死亡した事件が報道されています。
TVを見ていると、ほかに自殺者も出ているそうですね。
そのとき、一つの基地に駐屯していたのは一大隊。
およそ600人の20代前半の若者の集団。
そこから、4ヶ月に5名の病死者が出る。
やはり、不自然です。
ただし、これは、現在ではなくて、
いまから、120年以上まえの話です。
ときは、明治壬申(1872)年のこと。
大阪鎮台彦根小営十八番大隊。
旧大津陸軍墓地に移葬された5柱の
墓碑から確認できる事実です。
その年の3月に軍隊に入ってから、
わずか数ヶ月の出来事です。
(年齢は数え年)
○清水男外吉 4月27日病死。23歳。
○長谷吉太郎 6月27日病死。20歳。
○新畑 周二 7月 8日病死。24歳。
○辻 安次 7月10日病死。22歳。
○岡田 滌良 8月15日病死。24歳。
いまの事件に触発された目で見れば、
どういう「病死」なのかという疑問が浮かびます。
シビルコントロールが建前の自衛隊でさえ
真実の解明が困難です。
120年を隔てた明治の軍隊における
「病死」の真実は、明らかにすることができるのでしょうか。
これらの墓碑が若者の無念さを
叫んでいるのではないかと思うと、落ち着きません。
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