ギーゼキング(Walter Gieseking)のドビュッシー前奏曲集
2009-04-17


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タイトルは、「ギーゼキングのドビュッシー前奏曲集」
ですが、音楽談義ではありません。

先日、イオンモールで、
中学時代の同級生のK氏に出会いました。
同じ市内に住みながら、
偶然出会っては話をかわす・・・そういう間柄です。
私は出会うたびに、少し照れくさい思いがするのです。

そのことについて書いてみたくなりました。

K氏は、とてもがっちりした体格。
中学時代は、バレーボールのクラブに入っていました。
スターになれるような器用さは、
なかったのでしょうけれど、
その誠実さは印象的に残りました。

私はと言えば、高慢で、
トゲトゲしい少年だったはず。
どこか無理して生きている雰囲気が
あったと思います。
K氏はその時代でも、
私に親しく接してくれました。

中学を卒業して、数年後に再会しました。
それとも高校時代だったのかも知れません。
そのとき、K氏は、手に見慣れない
楽器を持っていました。ハープでした。
私は軽いショックを覚えました。
音楽への愛情がそこまで深いとは知らなかったのです。

私が私がクラシック音楽にとりつかれたのは、
高校二年生以降のことです。
自分で演奏できるはずもなく、聴くばかりでした。
ところが、K氏は自ら習いに行っていたわけです。

K氏に誘われて、自宅を訪問しました。
そこでハープの演奏を聴きました。
そのあと、LPをかけてくれました。
ギーゼキングの演奏するドビュッシーの《前奏曲集》でした。

私のクラッシック熱は、
高校で知り合ったO氏から借りたLPが発端でした。
トスカニーニの指揮するベートーヴェン全集。
そのなかのベートーヴェンの『エロイカ』。

生き方や家庭や学業やなんだかんだで、
迷いに迷っていた私には、すごい衝撃でした。

それで、自分の気持ちを救ってくれて、
励ましてくれることを
音楽の善し悪しの基準にしていたのです。
激しければ激しいほどOK!・・・みたいにです。

ドビュッシーは、そういう価値観とは異質の音楽でした。
音そのものの響きの美しさ、
そこから生まれるイマジネーション・・・しかし、
当時の私には、この音楽が「理解できない」状態でした。

とても親切で人の良いK氏は、
うっとり聞き惚れています。
私の困惑は高まりましたが、K氏は、
ファンの心理そのままに、LPを貸してくれました。
お礼をいって、もちかえったのですが、
当時の私には、ネコに小判。

そういう経過があって、K氏に出会うと、
なんとなく、照れくさい思いがするのです。
[日常生活]
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