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幼いころに一度見た記憶をたぐりながら、
「
旧大津陸軍墓地」を探しました。
2007年の9月のことです。
周囲は、最初に見た当時とは大きく姿を変えていました。
腕白盛りの私が、森のなかを走り回っていたとき、
突然出現した巨大で多数の墓碑群に圧倒されたのです。
その存在について知らされていなかったのでよけいでした。
現在は、上手は住宅開発されて、
「千石台」という地名がつけられています。
下手は、バイパスが通っています。
私は、上手の住宅地から、下に入る道を
探しながら、たどり着きました。
車を近くの早尾神社の駐車場にとめて、
はやる気持ちを抑えられず、早足で墓地に向かいました。
そして、入り口らしいあたりに、
上の写真の看板を見つけました。
墓地には、まったく人が見当たりません。
しかし、見事に清掃され、整備されていました。
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あとで知ったのですが、奉賛会の人たちが
毎月、ボランティアで清掃をされているのです。
まずは、再発見と出会いの喜びにひたりました。
ゆっくり墓地をめぐり、眺めているあいだに、
ある疑問が生まれたのです。
それは、つきつめて言うと、
戦跡はなにによって、戦跡となるか
ということです。
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