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森村誠一の『悪魔の飽食』(『続・悪魔の飽食』)は、
捕虜をマルタとよび、悪魔の人体実験を繰り返していた
旧日本軍の細菌兵器部隊・七三一部隊を暴きました。
1981年7月から74回にわたり
「しんぶん赤旗」紙上に連載。
その後、単行本として出版され、
また文庫本としても読むことができます。
衝撃的な内容であるため高い評価をえましたが、
それゆえに、論争の的、攻撃の的ともなりました。
写真をめぐる不手際もありましたが、
核心の真実性は、揺るぎませんでした。
『《悪魔の飽食》ノート』(晩聲社)は、
上記のドキュメントをめぐる論文、対談などを
集めたものです。
私は、たまたまブックオフで見つけました。
そして、しばらく書棚においていたのです・・・。
今日の日記にNさんの戦争体験を書きました。
→
64年前の記憶で描かれる「103号哨戒艇」(USS Finch AM-9)
そのときに、Nさんは同年代の老人の話を
私にしてくれました。
たぶん、戦争のことを覚えているもんは
すくなくなってしもうたやろなぁ。
わしらの世代が最後かも知れん。
・・・そうですね、でもみなさん、
なかなか語ろうとされませんね。
そりゃそうやろ。口止めされていたこともあるが、
怖いんや。追求されないか、罪に問われんかと。
・・・・。
散髪屋であったヤツがいうとった。
「(中国にいったとき)なんでもやった。
女は犯したし、年寄りや子どもも殺した。
『そうせい!』と言われたんやけど・・・。
度胸をつけさせるためやろなぁ。
そうやなんと、とても人は殺せん。
・・・それにしても、(中国人は)よう返してくれた。
わしらを責めんと、よう無事に返してくれたなぁ。
そういって泣いとった。
私は、このことをずっと家に帰って考えていました。
そして同じ根の犯罪を描いた『悪魔の飽食』と
『《悪魔の飽食》ノート』を思い出したのです。
この本にも同じような気持ちが書かれています。
われわれが接触した元七三一隊員たちは、こと生体実験に及ぶと一様に口が重くなり、ほとんど語りたがらなかった。語ったとしても、懸命な説得により、ようやくその一端を漏らすだけであった。中には訪問して取材を告げるや、
「わかりました。いつかは罪科を問われると覚悟ばしちょいもした。一緒に警察へ行きまっしょ。刑事さんの居るごたる前で私が殺したマルタのこつ、全部白状します。」
と身を震わせて正座する隊員もいた。
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