2009-08-06
ヒロシマの夏がまためぐってくる。
いまから思うと、とても残念なことがある。
結婚前の20代の話。
「年末に時間がとれますか。手伝って欲しいことがある」と知り合ったばかりのNさんから電話がかかってきた。「はい、いいですよ」と私は気軽に答えた。
指定された場所にでかけると、渡されたのは、住所を記したメモと重い餅の包みだった。頼まれた用事は、つきたてのお餅を市内に住むヒバクシャの方に届けることだった。届けに回る人数が足りないので、一人で行ってくれとのことだった。
自分の街にヒバクシャが住み、暮らしている・・・この街の住民なのに、私はまったく知らなかった。ショックだった。
家は簡単に見つかるはずだからと、街に出た。
私は動揺を抑えられなかった。ヒバクシャの方と直接出会うのは、はじめてだったのだ。どんな姿をされているんだろう、どう切り出したらいいのだろう。迷いながら私は走った。
ヒバクシャの方の家は簡素で、路地の奥だった。
やわらかい表情で感謝の言葉を述べられた。緊張した私は、「どうぞ」としかいえなかったのだ。
もしかすると、その方の生の話を聴かせていただく最後のチャンスだったのかも知れない。頼んでも拒否されたのかも知れないけれど。
それから30年近く経つ。
その当時すでに高齢で病気がちだったであろうその方は、もう亡くなられているにちがいない。
20代の私は、なんて臆病だったのだろう。なんて大切なものをなくしたのだろう。つぎの世代にヒバクシャの生のメッセージを伝える輪の一つにさえなれなかった・・・。
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