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『高島郡誌』によって、旧大津陸軍墓地で墓碑を見ているだけではわからなかった埋葬者の情報をえることができました。わかったのは、日清戦争期の兵卒の墓碑206柱のうち、高島郡(現在は高島市)出身者は、7名だということです。あと若干大津市出身者がわかっていますが、圧倒的多数は、出身地が不明です。
歩兵第九聯隊の所管する地域で観光されている「県市町村史」を参照すれば、さらに明らかにできるはずだと考えました。
高島郡の北隣は、伊香郡です。『近江伊香郡志』(昭和27・28年)を調べたら、確かに出てきました。西南戦争(明治十年戦役)の伊香郡の戦病死者は
8名で、日清戦争(明治二十七八戦役)のそれは、
20名。「台湾土匪征討」では、
11名。
日清戦争の戦病死者の20名を旧大津陸軍墓地Eブロックの名簿と照らし合わせたら、以下の
5名が一致しました。
○中嶋留次郎(上の写真) 歩兵一等卒 永原大浦
明治28年4月29日 清国沙家屯にて病死
○中川 力蔵 歩兵一等卒 古保利 東柳野
明治28年9月1日 清国柝木城に於いて病死
○高橋伊之助 輜重輸卒 片岡 文室
明治28年4月25日 劉家屯にて病死
○清水 留吉 歩兵一等卒 永原 八田部
明治28年5月13日 清国孫家屯にて病死
○木谷 勇吉 歩兵二等卒 永原 大浦
明治28年5月17日 清国沙河屯にて病死
たしかに予想通り、日清戦争の戦病死者の一部は旧大津陸軍墓地に墓碑がありました。しかし、一致する人数が少ない気がします。残り15名の墓碑はありません。
それは、なぜでしょう。
明らかに歩兵第九聯隊に所属していないと思われる人はいます。たとえば、「海軍一等主計」(弓削善彌)、「軍役人夫」(横関藤三郎)、「砲兵一等卒」(岩佐由太郎)、「陸軍傭員」(高橋乙治郎)など。あとは、同じ歩兵でも、近衛歩兵聯隊(小野徳次・赤尾杢治郎・岩佐才次郎・布施繁松)や他の部隊(下村勘次郎)に所属している場合などです。
残り6名には理由が見つかりません。
こういう方法で、埋葬者の出身地の一部はわかりましたが、全員がわかるところまで行き着けるものなのでしょうか。
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