戦争が落とす暗い影 〜『野洲郡史』(昭和2年刊)から〜
2009-11-03


「銅鐸博物館」(野洲市)の資料コーナーにあった『野洲郡史』の一部のコピーを頼んだ。銅鐸ではなく、戦争の記事である。
 戦前の地方自治体の史書には、戦争の一般的なな記述とともに、その地方と戦争のかかわりを伝える資料が掲載されている。たとえば、どの戦争に、どの村からどれだけの人が出征し、どれだけの人たちが戦死したのかなど。
 『野洲郡史』も同様であって、「次に明治維新以来西南、日清、北清、日露の諸戦役又は事変があって、本郡出身の現役、補充、豫後兵として当時服役した人員並に戦死者の氏名は左の通りである」と紹介されている。  細目を省略すると、以下のような人員数となる。

○西南戦役 従軍   33名 うち戦死 11名
○日清戦役 従軍  194名 うち戦死  1名
○日露戦役 従軍1,149名 うち戦死 62名

 これを見ただけで、戦争の規模がどんどん拡大し、地域社会に及ぼす影響が大きくなり、暗い影を落としていくのがわかる。
 ちなみに「壮丁」は「そうてい」と読んで、20歳に達した男子のことをいう。その年に徴兵検査をうける人数のことである。
 野洲郡では、以下のような人数であった。
○明治44年 437人
○大正 1年 512人
○大正 2年 530人
○大正 3年 525人
○大正 4年 499人
○大正 5年 581人
[西南戦争]
[日清戦争]
[日露戦争]

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