陸軍歩兵上等兵 内田検次郎之墓@旧大津陸軍墓地
2009-11-08


禺画像]
日清戦争は、明治27年から28年のことです。台湾征服戦争を入れれば、明治29年まで。西暦では、1894年から96年の出来事です。
 今から、110年も前の出来事です。
 しかし、戦争の傷跡はいまだ消えていません。
 日清戦争の戦病死者の遺族の方は、いまでも生きて足取りを探されていることと思います。そういう方からの問い合わせもお一人ではありませんでした。私は、少しでもお役に立てばと思っています。
 このブログを始めた頃は、亡くなられたお方の名前を書くのをためらっていました。しかし、書くことによって発見される方がいらっしゃるのですから、あえて記録していこうと思います。
 『新旭町誌』によれば、この町(現在は高島市の一部となりました)から日清戦争でお亡くなりになった方は、4名となっています。お名前は、大塚長次郎富田梅吉山田庄七そして内田検次郎
 上の墓碑は、内田検次郎さんのものです。
 場所は、旧大津陸軍墓地です。
 内田さんは、『町誌』では、明治3年10月19日生まれ。陸軍歩兵第九聯隊に所属する上等兵でした。お亡くなりになったのは、明治28年5月1日。場所は、「清国王家屯」と書かれています。
 墓碑では、お亡くなりになった場所がちがっています。
禺画像] 見ての通り、「沙家屯」となっています。
この違いが重要となるのかどうか、まだわかりません。
 第九聯隊の日清戦争での足取りについて、2007年の11月に(このブログで)つぎのように書きました。 第四師団歩兵第九連隊は、日清戦争の休戦協定(3月30日)の直前に大津市を出征(3月28日)し、広島に到着した。ここで約10日間逗留したのち、遼東半島にむかって4月11日13日に宇品港を出向し、4月14日16日に大連湾に到着した。だが、4月17日に、日清講和条約が締結された。21日、講和の詔勅が下りた。上陸前に戦争は終結してしまったのである。
 第九連隊は、4月22日23日に柳樹屯に上陸。24日25日に「沙家屯附近ニ在ル西華家屯附近ノ舎営地」(第九連隊戦役経歴書)に到着した。  内田検次郎上等兵は、このなかにいたはずです。そして、沙家屯に到着してまもなく、病名は書かれていませんが聯隊内に蔓延していた疾患によって、5月1日に病死したと思われます。
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