戦没者の墓碑に刻まれている碑文から、思いもかけない歴史上の出来事が−−その多くは軍事的なものですが−−目の前に立ち現れる気がして、立ちすくむこともあります。
「第四十三号潜水艦事故」で亡くなった海軍大尉中比良義太郎の墓碑
この墓碑を見て、その経緯を調べていったときもそうでした(下線をクリックしていただれば、その記事を見ていただくことができます)。
禺画像] 日露戦争でバルチック艦隊が全滅した日本海海戦は有名です。その日本側の旗艦が戦艦「三笠」でした。『坂の上の雲』の主役の一人、海軍参謀の秋山真之が、東郷平八郎の指揮を補佐していた艦です。その「三笠」は不幸な事故で、戦争終結直後の1905年(明治38年)9月11日に、爆発事故で沈没します。戦場ではなく、佐世保港においてです。
この事故で亡くなったのは、339名。そのうちの一人が、『高島郡誌』の日露戦争戦没者名簿に掲載されている
仁賀半兵衛(高島町勝野)でした。同じ勝野出身者の墓碑は、中野共同墓地に並んでいるのに、この方の墓碑は見あたりません。
仁賀半兵衛の墓碑は、どこにあるのでしょうか。
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