禺画像]
上の写真は、旧大津陸軍墓地のLブロック。その左側面から撮影しています。右が正面。見れば、一列目と二列目では、台石の数が違います。前列は一段で、後列は二段。前には、若い年代の墓碑、二列目以降は、旧い年代の墓碑。
具体的に言えば、右の一番手前が、明治44年歿の馬場寅吉の墓碑(東2)、その後ろが明治22年歿の米田兼蔵の墓碑。
二段から一段へと変わるのは、明治の20年の半ばです。明治22年の墓碑は2段。しかも、個人的経歴をわずかにせよ刻んでいます。しかし、明治27年以降は、台石は1段で、しかも、階級、氏名、死亡年月日のみとなっています。
明治20年代の中頃になにが起こったのか。
いうまでもなく日清戦争(明治27〜29年)です。
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