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ある大きな会場で、「故郷」を二度聴きました。最初は、合唱で、つぎにはジャズで。ともに感動的な演奏でした。
この選曲が偶然とは思えないままに、私は、ある光景を思い浮かべていました。
それは戦後60周年の節目の年のことです。
私たち家族は、サイパンに旅行しました。選んだのは、少人数のヒストリカル・ツァー。ガタガタ揺れるミニバンに乗せられて、ある戦場跡に案内されました。そこは、米軍に追われて、ちりぢりとなった日本軍の残存部隊が手榴弾で自爆した場所でした。十数人が最後の瞬間に、輪になって、この歌を歌ったそうです。
現地の少年がその光景を偶然に目撃したために、いまに伝わる
「野戦重砲兵第九聯隊」の実話でした。
私たち家族も、その場で歌いましたが、その一語一語が痛切な思いをもって、胸に刺さりました。そのとき以来、太平洋の諸島や中国で戦死した若者の墓碑を見る度に、「故郷」の歌声が聞こえるように思えるのです。
禺画像] 天候のいい一日。ある小さな墓地をめぐりましたが、そこでも戦死者の墓碑は、十数柱見つけることができました。まだ建立されて新しい墓碑もあり、刻まれた文字は、あまりに鮮明で、戦死が昨日の出来事のように思えました。
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第二次世界大戦で、戦闘員の死者は、570万人を超え、そのうち日本人の戦死者は、230万人といわれています。
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