南古賀の共同墓地@旧高島郡広瀬村
2010-11-14


禺画像]
どういう訳か、写真の露出がおかしくなっています。それでも、墓地の入口の部分を撮ったものは、これしかなくて、とりあえず、この写真で我慢ください。
 田が広がる平地から、細い道を山に向かって、でこぼこ道を、やつしろさんが運転する車が走ります。途中の会話でも出ましたが、野辺送り(村あげての葬儀)のときは、大変だったそうです。なるほど、そうです。車でさえ、けっこうな道のりで、しかも急な山道でしたから。そんな話をしていたら、数基の墓碑がならぶ一角に到着しました。
 ここでも、本体の墓地とはちがう場所に、つまり、そこへ向かうまでの道のりに、戦死者の墓地が造られていました。きっと、それぞれに礼拝しながら、自分たちの墓地に向かったのでしょう。

 碑文を読めば、そこにも、日露戦争の墓碑が1基ありました。

故陸軍歩兵一等卒 黒丸藤吉之

 そう刻まれています。
 この方の名前は、『高島郡誌』にありました。
禺画像]  一番上の写真をよくよく見れば、中央の階段が一番立派です。そして、その先にあるのが、黒丸藤吉の墓碑です。なるほど、一番最初に、造られた墓碑であることを示している気がします。
[高島市(旧高島郡)]
[日露戦争]
[民間墓地の戦没者]

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