禺画像]
旧高島郡高島町畑の墓地の入口には、「故陸軍歩兵一等卒林甚蔵碑」が聳える。共同墓地に入る人すべてがこの巨大な墓碑に一礼をしてから、自分の祖先の墓碑に向かったのではないだろうか。
その向こうにも、もう一つ墓碑が見える。
大きさも林甚蔵のものと比べても、そん色がなく、より古い気さえする。
禺画像] それが、「陸軍歩兵三上九左衛門碑」である。
どうしたことは、まともに側面の碑文を撮影したファイルが見つからない。仕方がないので、小さな部分を引き延ばしてなんとか文字を読み取ろうとしている。
禺画像] 「敦賀第十九聯隊」という文字が読める
この墓碑は、日清戦争や、日露戦争にかかわる墓碑ではなく、もっと後のものではないだろうか。なぜなら、明治39(1906)年10月に軍備編成改正があり、高島郡が大津に営所をもつ第九聯隊から敦賀に営所をもつ第十九聯隊の管轄区にかわったからである。
それにしても、撮り忘れはよくない。
・・・にわか雨が降った日だったっけ?
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