「故軍役夫 平山興三吉墓」@旧真田山陸軍墓地
2010-12-07


禺画像]
以前、撮影した写真を見直していると、忘れていたことを思い出します。たとえば、この墓碑のことです。砂岩の旧い墓碑が並ぶなかで、花崗岩の新しい墓碑となって建っていました。正面は「故軍役夫 平山與三吉墓」。右側面は、「滋賀縣滋賀郡大津町字関寺村」と刻まれています。
 国立民族博物館の調査では、「A−5−38」というIDが振られている墓碑です。
ちなみに、滋賀郡大津町というのは、明治22年から31年まで使われた地名です。明治22年に町村制ができ、滋賀郡は大津町と14の村から成立します。そして、明治31年10月に、滋賀郡から大津町が分離し、大津市となるからです。
 左側面には「明治二十八年六月二十三日死」とありますから、日清戦争期の墓碑です。『大津市志』のなかに、名前があったかどうか、確かめてみます。

・・・ないですね。軍役夫だから・・・?
[旧真田山陸軍墓地]

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