「動的防衛力」への転換 〜新「防衛力大綱」〜
2010-12-18


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1945年の夏に一旦解体された日本軍が、占領統治していたアメリカ政府によって、「自衛隊」として蘇り、海外派兵の既成事実を積み重ねて憲法九条の歯止めを限りなく空文化しながらも、考えのうえでは、自国防衛という内容でした。
 しかし、2010年12月7日に閣議決定された新「防衛力大綱」を読むと、さらに一歩踏み込んだ内容となっています。マスコミでも取り上げられていますが、新しくつくりだされた概念=「動的防衛力」の内容を見ると、中国や朝鮮など特定の地域を想定し、海外での活動に力点を置くものとなっています。そこには、これまでの「基盤的防衛力」とは、質的な変貌があり、極めて危険なことだと思います。
 CNNの報道記事ではつぎのように書かれています。
大綱は、最近の北朝鮮の動向や中国の近代化が「透明性の不足」とあいまって地域・国際社会の懸念を引き起こしていると指摘。北朝鮮と中国からの潜在的脅威を見据え、冷戦時代の「基盤的防衛力」から、機動力や即応性を重視する「動的防衛力」へとシフトした。
向こう10年間の日本の防衛計画を示した今回の新防衛大綱では、ロシア向けに北海道に配備されていた重装備の部隊を再編成し、沖縄の那覇基地の戦闘機部隊を増強するなど、南西諸島防衛を強化している。  能動的に踏み込んでいくことには、アメリカの要請もありますが、1990年代に顕著となった多国籍企業化とは無縁ではないのでしょう。北朝鮮の最近の事態は、意図を覆い隠すには好適なものでしょう。
 日本は、近代国家の出発に際して、西南戦争という無惨な内戦を戦ったあと、外征を念頭に軍隊づくりを開始し、日清戦争、日露戦争、中国戦争、太平洋戦争に突っ込みました。そして、大陸進出の口実は、いろいろあり得ました。
 「歴史は常に現代史」といったのは、クローチェ。「歴史は現在と過去との対話」といったのは、E.H.カーでした。司馬遼太郎が日露戦争への過程を肯定的に描くドラマが放映されるいま、問われているのは、歴史への責任感だと思います。生きている世代は、好むと好まざるにかかわらず、過去の世代の負の遺産を引き受けざるをえないのです。
[戦争と平和]
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