大正十(1921)年に京都衛戍病院で亡くなった「故陸軍砲兵上等兵横井川四郎太之墓」
2011-07-31


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砲兵の墓碑には、あまりであったことがありません。正面の碑文には「故陸軍砲兵上等兵横井川四郎太之墓」と刻まれています。背面に個人離席があり、大正十(1921)年に京都衛戍病院で亡くなったことがわかります。たいていが、日露戦争(1894-95)の戦病死者の墓碑でしたが、これはそれからは、だいぶ後の時代のものです。 禺画像]
[高島市(旧高島郡)]
[民間墓地の戦没者]

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