禺画像]
2006年に大津市に吸収合併された旧志賀町は、現在、4つの学区があります。南から、小野、和邇、木戸、そして小松。「戦時事績」が編纂されたのは、日露戦争(1904〜05年)の直後の明治40(1906)年あたりです。その当時の和迩村、木戸村、小松村が現在の学区の区分とづ重なるのか、私には、いまのところわかりません。
三つの「戦時事績」からわかったことは、旧志賀町の日露戦争戦病死者は、
和迩村4名、木戸村5名、そして小松村7名、合計15名だということでした。
旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(作業途中)
□和迩村 4名
○陸軍歩兵伍長 西村 松之助
○階級・氏名不詳
○階級・氏名不詳
○階級・氏名不詳
□木戸村 5名
○戦死者 階級氏名不詳
○戦死者 階級氏名不詳
○戦死者 階級氏名不詳
○戦死者 階級氏名不詳
○戦病死者 階級氏名不詳
□小松村 7名
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
○階級氏名不詳
表が全く埋まらないわけではありません。いくつかの墓碑はこれまでも紹介しました。写真は、和迩の墓地の一角です。黒ずんでいるのが、日露戦争の戦病死者の墓碑です。「陸軍歩兵上等兵 橋詰興太郎」と刻まれています。
セコメントをする