旧志賀町の日露戦争戦病死者は15名
2011-08-09


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2006年に大津市に吸収合併された旧志賀町は、現在、4つの学区があります。南から、小野、和邇、木戸、そして小松。「戦時事績」が編纂されたのは、日露戦争(1904〜05年)の直後の明治40(1906)年あたりです。その当時の和迩村、木戸村、小松村が現在の学区の区分とづ重なるのか、私には、いまのところわかりません。
 三つの「戦時事績」からわかったことは、旧志賀町の日露戦争戦病死者は、和迩村4名、木戸村5名、そして小松村7名、合計15名だということでした。 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(作業途中)

□和迩村 4名

○陸軍歩兵伍長 西村 松之助

○階級・氏名不詳

○階級・氏名不詳

○階級・氏名不詳

□木戸村 5名

○戦死者 階級氏名不詳

○戦死者 階級氏名不詳

○戦死者 階級氏名不詳

○戦死者 階級氏名不詳

○戦病死者 階級氏名不詳

□小松村 7名

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳

○階級氏名不詳  表が全く埋まらないわけではありません。いくつかの墓碑はこれまでも紹介しました。写真は、和迩の墓地の一角です。黒ずんでいるのが、日露戦争の戦病死者の墓碑です。「陸軍歩兵上等兵 橋詰興太郎」と刻まれています。
[(旧)志賀町]
[日露戦争]

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