禺画像]
現在の大津市で、日露戦争にかかわる墓碑・記念碑は、どれだけ造られ、そのうちのどれだけが残っているのでしょうか。
私が最初に思いつくのは、陸軍が建設した4柱で一セットとなっている合葬碑です。置かれている場所は、JR大津京駅の山手にある「旧大津陸軍墓地」。旧真田山陸軍墓地とまったく同じものが建てられています。
旧真田山陸軍墓地では、4基が横に並べられています。旧大津陸軍墓地では、3か所に分散しています。それは、旧真田山陸軍墓地が、平地であるのに対して、旧大津陸軍墓地が、山の傾斜地にあり、棚田のような形で三層構造になっていることと関係があると思います。上段は、将校の墓地。そこには、「
明治三十七八年戦役将校同相當官戦病死者合葬碑」がおかれています。中段には、「
明治三十七八年戦役准士官戦病死者合葬碑」と「
明治三十七八年下士戦病死者合葬碑」の二つが並んで建てられています。
禺画像] 下段には、「
明治三十七八年戦役兵卒戦病死者合葬碑」がありました。しかし、
下段そのものは、、1970年代中ごろの道路工事のために破壊されて今は存在しません。中段を拡張し、そこに置かれています。それぞれの形は同じですが、大きさが違います。将校は大きく、兵卒のものは小さいのです。
禺画像] ちなみに、旧大津陸軍墓地には、これら4つの集合碑以外の日露戦争の個人墓碑は、4柱あります。すべて将校の墓碑です。
大津市で見ることができる日露戦争の墓碑・記念碑
□明治三十七八年戦役将校同相當官戦病死者合葬碑
*旧大津陸軍墓地(上段東)
□明治三十七八年戦役准士官戦病死者合葬碑
*旧大津陸軍墓地(中段東)
□明治三十七八年下士戦病死者合葬碑
*旧大津陸軍墓地(中段東)
□明治三十七八年戦役兵卒戦病死者合葬碑
*旧大津陸軍墓地(中段西)
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