禺画像]
日常の繰り返しをしているときには、気がつかないけれど、旅先のなんでもないことが、妙に、なつかしくなるときがある。シャッターを押しながら、次々と過去となっていく”今”の意味を考えていた。
東日本大震災のとき、暮らしの記録があとかたもなく押し流された。人々は、かけがえのない家族や知人の安否とともに、それらの人々と過ごした生活の記録を探しもとめた。写真業者の方々が見つかったネガや印字されたものを、懸命に復活させるよう力を尽くした。
撮影すべきは家族との平凡な日々なのかも知れない。しかし、いま急に撮影し始めるのは変だし、抵抗もある。
禺画像] 雷の音とともに、降り出した雨。乗り継ぎの2時間を、書店とスターバックスで過ごした長男のK君と私は、傘もなく、濡れない道を探して駅に急いだ。駅に着き、電車を待つ間、反対方向で特急ソニックが激しい雨をじっと受け止めていた。
雷の音はカメラでは写らない。激しい雨さえ、下手な私では、写しこむことはできない。ましてや、私が抱いた思いが画面に写ることはない。けれど、意図不明の写真の画面を見ながら、”今”の意味を考えていた自分を思い出すことができるのではないかと考えた。
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