禺画像]
和邇の中浜。旧来の161号線沿いに墓地があります。道路をはさんで向かいは真光寺とその墓地。
写真の左側が琵琶湖で、右手が山。立派な戦没者の墓碑が数基ならんでいます。そのうちの一基が、日露戦争の墓碑です。柵の鉄さびのせいでしょうか、褐色になっています。写真をクリックしていただければ、先端部がわずかに見えます。
禺画像] 禺画像] 「陸軍近衛歩兵上等兵橋詰與太郎乃墓」と刻まれています。
禺画像] 戦歴と戦死について刻まれている部分は、いまなお鮮明です。明治36年に近衛兵として入営。日露戦争には翌年に出征し、戦死。享年は書かれていませんが、二十代前半だったはず。
禺画像] 墓碑の建立は、「明治三十八年五月」。つまり、戦争終結直後です。また、親族によって建立されたという内容ですね。
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