霊山招魂社
2011-09-12


禺画像]
霊山招魂社とはなにか?
Wikipediaをそのまま引用すれば、つぎのようになります。  1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。  「靖国神社よりも古い歴史をもつ」という一文にひかれて、霊山墓地にやってきました。個人墓碑にも関心はありますが、”招魂社とはどういうものか”、見てみたいと思いました。
 それぞれについて詳しく調べることは後にして、現物を見て回りました。 禺画像]  上の写真の右。階段の手前にあるのが山口藩招魂社の碑です。色は茶色っぽいものです。
[忠魂碑・慰霊碑など]
[霊山墓地(旧霊山官修墓地)]

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