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旧真田山陸軍墓地を、昼前から午後3時過ぎまで歩き回りました。墓碑の読み取りも、名簿化も終わっている墓地ですから、私が何かを発見するということはありません。なにかを感じたくて、自分がなにをかんじるのかを楽しみに見て回りました。
そこにそういう墓碑があると知っていても、現物を実際の目で見ると衝撃を受けます。たぶん、何度見ても。
禺画像] 「
虎列刺」という文字。明治10年に流行したコレラのことです。無事、西南戦争から戻ってきた兵卒たちが、原隊に復帰する途上で次々と倒れていったという記述を見たことがあります。この兵卒の場合はどうだったのでしょうか。
禺画像] 墓碑は折れて、セメント類でつなぎとめられています。「大坂鎮台歩兵第九聯隊」の文字が見えます。大津市に営所があった聯隊の兵卒でした。正面は「真川菊五郎墓」
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