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●往復4時間の道のりで
この7月いっぱい、大津市から長浜市まで、
往復で4時間かかる道のりを毎日通っています。
仕事に区切りがつくのは、深夜のことです。
終わる時間も不確かです。
そのため、JRの時刻表をきにせず、
すぐ帰路につける自分の車にしています。
●闇ににあう音楽 シューベルト晩年のソナタ
疲れて帰る深夜の湖岸道路(琵琶湖の東岸ほぼ全体)は、
目の前の道路以外は、黒々とした塊しか見えません。
それらの闇は、眠気も誘いますが、
いろんな空想の扉もあけてくれるのです。
昼間の喧騒(外界)から内界への
私の気持ちにもっともなじんでくれたのが、
シューベルトの最晩年の三つのピアノ・ソナタでした。
●なぜ?
聴きながら、いつも思うのです。
「シューベルトの晩年のピアノ・ソナタは、
なぜ、こんな暗く沈んでいくのだろう? 」
私は、それを知りたく思いました。
●喜多尾道冬さんの本
本屋さんで探し出してきたのが、 喜多尾道冬さんの
『シューベルト』(1997年 朝日選書 朝日新聞社) でした。
それによると、シューベルトの晩年は、30代後半におとづれます。
この若さだったけれど、死は、この作曲家自身に
確実なものとして予測されるものでした。
なぜなら、状況証拠しかありませんが、
シューベルトが1822年に梅毒に感染し、
それが彼の絶望の根底にあるというのです。
●私はおもいました
不治の病のなかで、 破綻すれすれになりながら、
シューベルトは、ただ暗いだけの音楽を書いたわけではありません。
生きることをすばらしいと感じさせる音楽を、
死をもっても打ち消せない音楽の力を信じて
書き続けたように思えます。
死の不安な影を強く感じさせる音楽(D.960の第一楽章)のあとには、
それを受け入れるかのような安堵感と悲嘆が交差する音楽
(同2楽章)が続きます。
「ます」の音楽家は、ファウストのように
「時よ、止まれ。お前は美しい」と
どこかで叫んでいるように思います。
シューベルトが絶望のなかで残した音楽は、
それを聴けばどんな境遇にあろうとも、
生まれてきたことを後悔することがないように、
人生は美しいものだと訴えているように
私には思えました。
●空腹の帰路にはやっぱりパンの方がありがたい
もっとも、空腹のまま帰る2時間は、
シューベルトの音楽もときに効果がないものでしたけれど。
上の写真は、マウリッツォ・ポリーニさんのCDジャケットです。
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