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街の古本屋でつぎの本を見つけ、買いました。
村田武雄著 『音楽の生活 若い人のための音楽入門2』 (音楽の友社)
裏を見ると昭和44年7月1日発行とあります。
●1966年(昭和44)という年
パラパラとめくって、21世紀の今日では
書かれないと思われる章がありました。
そのことについて書きたいと思います。
私が知っている歴史の知識を使って。
1964年、トンキン湾事件。
ジョンソン新大統領のもと、
アメリカはベトナムへの侵略を本格化させました。
1965年2月、北ベトナムへ大規模な空爆開始。
しかし、1960年代の世界は、2004年の世界ではありません。イラク戦争への反対が、開始前から全世界でまきおこったこととは対照的に、ベトナムへ平和をという声は、かなたにかすんでいました。
ベトコンとは悪名を意味しました。
アメリカは正義の代名詞でした。
国防長官マクナマラが、ベトナム戦争をまちがっていたと
口にするまでには、さらに半世紀の年月が必要だったのです。
沖縄から、連日飛び立つ爆撃機は、ドミノ倒しを防ぐために、
悪の共産主義者の血を、たっぷり大地に吸わせていました。
反対の先頭にたつことを期待されたソ連と中国は
相互に激烈に対立していました。
両者は、日本の平和を願う人々を、
その支配の道具にしようと、疑心暗鬼と対立を広げていました。見解の違うものへの非難は容赦のないものでした。
時代は、殺伐としていました。
その最中にこの本が書かれ、出版されたのです。
第十章は「戦争と音楽」
ベンジャミン・ブリテンにたくして
村田武雄氏は、若者に訴えています。
「戦争は若者や青年の犠牲によって行われるものです。老人や子供のために強いられる犠牲ではありません。だから世界の若い人よと呼びかけて、この曲(《戦争レクイエム》のこと)に触れて、それをよく考えて、青年から戦争をしない決意を引き出そうとしたのが、ブリトゥンがこの曲を書いた精神でした。」(179頁)
第十二章は「イディオロギーと音楽」
うえに見たように、
このとき東西対立はもっとも激しく燃え上がり、
相互の非難は妥協を許さないものでした。
白でなければ黒。
さまざまな色合いを認めないイデオロギー戦争でした。
村田武雄氏は、この焦眉の問題を避けようとしていません。
むしろ、その対立の火中にむかっています。
筆はあくまで冷静でやさしく、飛躍することがありません。
旧ソ連の「社会主義リアリズム」に
触れて、つぎのように書いています。
音楽が「一つの主義やイディオロギーにしたがうことがよいかどうかをここでせんさくする必要はないと思います。わたしは共産主義者ではありません。しかしその中から生まれ出るよい芸術には、そんな主義や思想を超越して感動させられますし、またなんのへだてもなく感動ができます。」(189頁)
村田武雄氏は
プロコフィエフのオラトリオ「平和のまもり」を
とりあげ、資料の音楽をきいてもらって
青年との対話します。
そして、
この章のむすびはつぎのようになっています。
「音楽は人間の頭で考える主義や思想を超えて、人々の心の中に飛び込んでいって、主張、思想をさらにつきつめていった、人間が生きる力の生命と一つになってゆくものだからです。考える世界から感じる世界に達すると、もう主義、主張などに左右されません。訴えてくるものをそのまま裸でうけとめる、感動しかないのです。」(193頁)
血なまぐさい戦争が再び起こる中で
東西対立がさらに深まるなかで書かれたこの本。
誠実さ、やさしさの背後に
凛とした精神をうかがうことができました。
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