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大津市の文化財保護課で、西南戦争の碑についてたずねたとき、「この種の碑としては、(日本で)最初のもの」という話をききました。
こういう碑を建てる習慣がそれまで日本になかったということを意味しているし、では、なぜ、新しい習慣がこの地で生まれたのかという別の疑問も生まれます。
さらに興味を掻き立てられました。
実は、西南戦争の碑を探そうと出かけていったのは、今回がはじめてではありません。8月にも、一度出かけています。
それは、8月6日のことです。
この日、毎年のことですが、原爆慰霊祭が(大津市の)三井寺で行われました。↓
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そのときに、西南戦争の碑を見てこようと、「大津そろばんの碑」などが並んでいる高台へいって探しましたが、見当たりません。
「私の記憶ちがいかな?」と思ったのです。
少年時代に、この碑をなんども見ています。
当時は、拝観料はタダでした。そういう制度がなかったのです。
ですから、手ごろな遊び場にして、境内のあちこちを走りまわって遊んでいました。そして、山を登ったときに、なんどか、その碑を見ているのです。
もちろん、それが、西南戦争の碑とは知りません。
最近写真を見て、あ、あれだと思い当たったのです。
もしかしたら、私の記憶違いで、長等公園の上だったのかとも思い、文化財保護課でたずねたのです。
「まちがいなく、三井寺観音堂の裏手の御幸山にある」といいます。
では、拝観料500円を覚悟して、行くしかありません。
見つけたあとのことですが、三井寺境内の案内板には、しっかり掲載されていました(上の写真)。
この写真に左上あたりに、西南戦争の碑がありますね。おまけに、いろんな碑の名前も書いてあります。これを見てから行けばよかったですね。
ともかく、私は、高台から御幸山を目指しました。
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