2007-10-23
禺画像]
●台湾征服戦争時期の墓石はわずか2基
207基の墓石が整然とならぶ
旧大津陸軍墓地のEブロック。
そのなか、台湾征服戦争の時期に亡くなった兵の
墓石は、わずか2基しかないことがわかりました。
●残余は、中国本土でなくなった兵の墓石
残りの204柱は、日清戦争の遂行のために、
中国大陸へ渡った兵、もしくは
渡ろうとして途中で亡くなった兵の墓碑でした。
●例外的に存在する士官候補生の墓石
実は、もう1基、士官候補生のものがあります。
(上の写真)
ぬきんでて背が高い墓石です。しかも、
ひとつの柱で兵の6柱分のスペースを占領。
明治30年9月23日歿とあります。
場所はうまく読めないのですが、
「於東京」でしょうか?短い地名です。
この墓石がなぜここにあるのか謎です。
まず、階級がちがう、それに死亡時期がちがう。
これは、このEブロックの建設時期とも
かかわってきます。
最初から、この墓石を含めて建設したなら、
明治30年9月23日以降ってことになりますから。
●墓石の配置はオーダーなし?
墓石は、埋葬の規則とういものがあると思います。
奥から手前へ、また右から左へと旧い順に。
しかし、このEブロックは死亡年月日という
オーダーに従っていません。
バラバラです。
●第九連隊の行動を墓石で追跡
大変気の毒なことですが、第九連隊の
行動記録を墓碑銘で追跡してみたいと
思います。
その場合、どうも合致しないと思われる
墓碑があります。
たとえば、死亡年月日のときには、
大陸に到着していないと思われるのに、
死亡場所は、大陸の地名とか。
合致しないのは、あとで考えるとして、
記録を裏書できる墓石で追跡します。
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