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1976年にバイパス工事のために、旧大津陸軍墓地の下段の墓碑237柱が掘り返され、移葬されることとなった。
埋葬当時は、土葬。そのために、強烈な異臭が漂う作業となった。座棺で葬られていて、骨は失われていたが、靴などはそのまま残っていた。同時に、大量の土砂が棺に入っていたという。
それぞれの兵士の遺留品は移葬した墓碑に埋めなおされたが、土はまとめて、
「超日月光 霊土」の祭壇の下に埋められた。しかし、それだけでは収まりきらない量であった。
「ひとかけらといえども、道路の足蹴にしない」という奉賛会の意向もあり、その土は、「霊土」と名づけられて、もう一箇所別に埋める場所が確保された。それが、中段(現在の下段)の東側Bブロック付近である。
そこに目印として、「霊土」の碑が置かれている。
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