日露戦争の個人墓碑から@和邇北浜
2009-06-20


禺画像]
大津市和邇北浜の墓地は、地図で見ると、
真光寺さんの敷地にあるものでしょうか?
広い墓地の真ん中を道路が貫通したため、
本堂と墓地の一部が分かれたのかも知れません。
今度、ご挨拶と確認するのがいいでしょうね。

それはさておき、黒く汚れた墓碑が1柱が
遠くからでも目立っています。
墓石を囲む鉄柵のさびが付着した様子です。

禺画像]

正面の文字は汚れで読み取りが困難。
「陸軍近衛歩兵上等兵」でしょうか。

右側面(一番上の写真=クリックを)には、履歴。
戦死にいたった経過が刻まれています。

明治三十六年入営。翌年二月日露開戦スルヤ第一軍附トシテ出征。九連城、遼陽等ノ戦闘ニ参加。三十七年十月十二日沙河大戦ニ於テ敵弾頭部ニ貫通シテ遂ニ戦死ス。
軍が刻むおきまの文章ではないところに、
個人墓碑を建てた人の姿が見えるようです。

日露戦争は、戦死者があまりに多かったために、
軍は個人墓碑を公には建設しませんでした。
予算がとても足りないということでしょう。
大津市の旧陸軍墓地には、合葬碑があるだけです。
息子を失った個人の無念の思いが、自費での
個人墓碑を建設することに向かったのでしょうね。

遙か遠い地で戦死した若者の墓碑の出現。
際だつ異質の存在として人目を惹いたと思われます。

[日露戦争]
[民間墓地の戦没者]

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