日清戦争で戦病死した高島郡(市)の17名の若者
2009-09-16


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写真は、現在の高島市勝野。現在は「びれっじ」など新しい取り組みもありますが、由緒ある商店街です。もしかしたら日清戦争当時の姿の名残があるかも知れません。

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 さて、引き続き『高島郡史』(大正15年)をもとにして、高島市で戦病死した人たちの姿を追っていきたいと思います。
 この本には、西南戦争、日清戦争そして日露戦争の戦病死者の名簿があります。西南戦争・日清戦争では、はっきり書かれていませんが、日露戦争の名簿には、項目「戦病死場所」に、「長嶺子(病死)」というように、病死と戦死の区別が明確にされています。
 これは、靖国神社との関係で出てくる区別かも知れません。
 日清戦争の戦病死者の名簿では、戦病死場所が「病院」とはっきり書かれています。これは、旧大津陸軍墓地の墓碑との違いです。同じ陸軍墓地でも旧真田山陸軍墓地の墓碑には、「病院」の文字がありましたが、旧大津の場合はありません。一切書かれていないのです。
 高島市の戦病死者17名中11名が「病院」もしくは「療養所」で死亡したとされています。
 内訳は以下のとおりです。病院名はそのままにしています。
 ○清国盛京省海城病院    2名
 ○金州沙家屯舎營病院    2名
 ○清国金州兵站病院     1名
 ○清国金州病院        1名
 ○牛馬頭患者宿泊所病院   1名
 ○朝鮮平安道瀧川兵站病院  1名
 ○台湾台北兵站病院      1名
 ○基隆兵站病院         1名
 ○旅順口日本療養所      1名  同一の可能性がある病院もありますが、まずは区別しています。

 「所属部隊名」は、不明が6名と書かれています。今回私が2名(福井・日置)の方の所属部隊を見つけたので、実際は、名。したがって、残り13名の所属部隊が分かっています。
 その内訳は以下のとおりです。
 ○陸軍歩兵第九連隊       8名
 ○近衛歩兵第二連隊       1名
 ○工兵第四大隊          2名
 ○台湾守備歩兵第四連隊    1名
 ○軍夫                1名  「兵種」と「階級」は、以下のとおりでした。  ○軍夫       1名
 ○輜重輸卒    2名
 ○歩兵      13名
   二等卒4名、一等卒5名、上等兵3名、一等軍曹1名
 ○工兵       1名(上等兵)  つぎに出身地。  @剣熊村
 A海津村
 B西庄村  1名 井花長太郎(蛭口)
 C百瀬村
 D川上村
 E今津村
 F三谷村
 G饗庭村  2名 富田梅吉(饗庭)、内田検次郎(旭)
 H新儀村  1名 大塚長次郎(太田)
 I本庄村
 J青柳村
 K安曇村  3名 日置卯市(三尾里)、山崎松蔵(田中)、福井乙吉(常盤木)
 L広瀬村
 M水尾村  1名 吉田伊之助(宮野)
 N大溝  5名 三矢松太郎(永田)、中村林造(勝野)、仁賀宗太郎(勝野)、島村幸太郎(勝野)、中江幸四郎(音羽)
 O高島村  2名 奥村粂蔵(拝戸)、林甚蔵(畑)
 P朽木村  2名 森岩五郎(栃生)、金子兼助(宮前坊)
[高島市(旧高島郡)]
[日清戦争]

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