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写真は、現在の高島市勝野。現在は「びれっじ」など新しい取り組みもありますが、由緒ある商店街です。もしかしたら日清戦争当時の姿の名残があるかも知れません。
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さて、引き続き
『高島郡史』(大正15年)をもとにして、高島市で戦病死した人たちの姿を追っていきたいと思います。
この本には、西南戦争、日清戦争そして日露戦争の戦病死者の名簿があります。西南戦争・日清戦争では、はっきり書かれていませんが、日露戦争の名簿には、項目「戦病死場所」に、「長嶺子(病死)」というように、病死と戦死の区別が明確にされています。
これは、靖国神社との関係で出てくる区別かも知れません。
日清戦争の戦病死者の名簿では、戦病死場所が「
病院」とはっきり書かれています。これは、旧大津陸軍墓地の墓碑との違いです。同じ陸軍墓地でも旧真田山陸軍墓地の墓碑には、「病院」の文字がありましたが、旧大津の場合はありません。一切書かれていないのです。
高島市の戦病死者
17名中
11名が「病院」もしくは「療養所」で死亡したとされています。
内訳は以下のとおりです。病院名はそのままにしています。
○清国盛京省海城病院 2名
○金州沙家屯舎營病院 2名
○清国金州兵站病院 1名
○清国金州病院 1名
○牛馬頭患者宿泊所病院 1名
○朝鮮平安道瀧川兵站病院 1名
○台湾台北兵站病院 1名
○基隆兵站病院 1名
○旅順口日本療養所 1名
同一の可能性がある病院もありますが、まずは区別しています。
「
所属部隊名」は、不明が6名と書かれています。今回私が2名(福井・日置)の方の所属部隊を見つけたので、実際は、
4名。したがって、残り
13名の所属部隊が分かっています。
その内訳は以下のとおりです。
○陸軍歩兵第九連隊 8名
○近衛歩兵第二連隊 1名
○工兵第四大隊 2名
○台湾守備歩兵第四連隊 1名
○軍夫 1名
「
兵種」と「
階級」は、以下のとおりでした。
○軍夫 1名
○輜重輸卒 2名
○歩兵 13名
二等卒4名、一等卒5名、上等兵3名、一等軍曹1名
○工兵 1名(上等兵)
つぎに出身地。
@剣熊村
A海津村
B西庄村 1名 井花長太郎(蛭口)
C百瀬村
D川上村
E今津村
F三谷村
G饗庭村 2名 富田梅吉(饗庭)、内田検次郎(旭)
H新儀村 1名 大塚長次郎(太田)
I本庄村
J青柳村
K安曇村 3名 日置卯市(三尾里)、山崎松蔵(田中)、福井乙吉(常盤木)
L広瀬村
M水尾村 1名 吉田伊之助(宮野)
N大溝
町 5名 三矢松太郎(永田)、中村林造(勝野)、仁賀宗太郎(勝野)、島村幸太郎(勝野)、中江幸四郎(音羽)
O高島村 2名 奥村粂蔵(拝戸)、林甚蔵(畑)
P朽木村 2名 森岩五郎(栃生)、金子兼助(宮前坊)
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