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「
忠魂碑」は天皇のために命を捧げた将兵を記念するという意味の碑です。したがって、天皇の名で起こされた戦争とそれを戦った臣民への賛美が込められています。戦前は、そういう目的で建設され、碑の前で、行事が行われていたと聞いています。
戦後になって撤去されたものも多数あるし、地域の記念碑をあつめた本のなかからも削除されていきます。
一方、「
戦没者慰霊碑」は、「忠」(天皇への忠誠)という要素はなく、戦争に参加し、命を落とした将兵を弔うために建てられています。
旧志賀町では、「
忠魂碑」は、
木戸の共同墓地に一つ、
和邇中の天皇神社に一つあります。国民学校前に横長の形をした「忠魂碑」があったはずですが、まだ見つけていません。
「
戦没者慰霊碑」の類は、
北小松に「戦没者慰霊碑」と
南小松に「慰霊塔」があります。
新たに紹介するのは、
北比良の共同墓地に隣接しておかれている「
戦没者慰霊碑」です。
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背面には、建立年月が刻まれています。「昭和51年3月」。西暦では、1976年のことですね。
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