戦争の傷跡をおって 〜田中共同墓地を訪問〜
2010-09-27


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八代孝憲さんに、田中共同墓地(安曇川町)の案内をしていただきました。
 ご高齢であることをまったく意識させないお元気さでした。ご住職でもあるでしょうけれど、深い知識と見識には敬意をいだきました。町の要職を務められたとはあとで知ったことですが、なるほどと思いました。
 防虫スプレーを持参していただいたことに感謝します。その心遣いそのままのお人柄でした。

 さて、私が墓地を巡るようになったのは、2007年8月からです。
 小関越の途中にある墓地が最初でした。それまで、そこにあっても、近づくことも、調べることもせずに過ごしてきました。もちろん、一般的な墓地への怖れもあったのだと思います。
 私がそのとき初めて抱いた気持ちは、不思議なものでした。
 墓碑と生きている私たちは、空間は共有していますが、時間を共有していない・・・難しい表現ですが、墓地には凍った時間があると思ったのです。墓碑はなにかを訴えている・・・たぶん、忘れないでほしいと。しかし、それを強要しているわけではなく、静かにそこに存在し、朽ちていきながら、いくさへの警告を発しているのだと思いました。
 顔を上げたとき、多数の戦死者の墓碑が目に映りました。そして、見て見ぬふりをやめて、向き合う決心をしました。同時に、幼時に遊びまわった忠魂碑や旧陸軍墓地の記憶がよみがえり、いまはどうなったのかと探求を始めたのです。

 私がブログにアップし始めた頃、最初の出会いがありました。
 「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の方々です。コメントをいただいて、訪問させていただきました。
 素人ながら調査をやり、その結果を載せることにどれだけの意味があるのか、疑問に感じながらやってきました。しかし、墓碑についての問い合わせを受け、いままで見つからなかった縁者の墓碑が見つかったと感謝の連絡をいただいたときには、ムダではなかったと安堵しました。
 そして、今回の八代さんとの出会いです。

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 田中共同墓地は、高島市で最も大きな墓地に一つだと思いました。その成り立ちだけでなく、戦死者の墓碑が置かれている場所なども興味ぶかく、今後も何度も足を運び、八代さんのお世話になると思います。いつまでもお元気で、お相手いただきたく思います。

 八代さん以外に、何名かの方から連絡を頂いています。春からのブランクが大きくて、失礼な対応となりました。重ねてお詫びし、コメントかえしをしたいと思います。
 私への連絡方法は、コメントでも結構ですし、右の欄外に掲載しているメールアドレスでもかまいません。
 mr.bin猫i.softbank.jp(猫を@に変えてください)でもいいです。
 よろしくお願いします。
[高島市(旧高島郡)]
[民間墓地の戦没者]

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