「陸軍歩兵二等卒竹村治三郎墓」(東103=L236)を見る
2010-10-25


禺画像]
墓碑に刻まれている死亡年月を見れば、「下段東側」では、上手から下手へと、墓碑が建てられていったことがわかります。常識的な順番です。 先の記事の図では、図の下が上手、図の上が下手。混乱しそうですね。
 図の上の方にぽつんと独立しているのは、日露戦争の兵卒の集団碑。そちらではなく、図の下に、一基だけぽつんと上手に建てられています。

103番です。
禺画像]

「陸軍歩兵二等卒竹村治三郎墓」。現在置かれている場所は、Lブロックの236。

 資料では、明治42年7月。碑文では「明治四十二年七月二十四日死」とあります。
 「下段東側」の最上部は、明治10年代の墓碑が並んでいる場所なので、なんらかの事情(順番で埋葬すべき場所が確保できなかったなど)でここに置かれたものでしょう。
[旧大津陸軍墓地]
[旧大津L]
[旧大津下段東]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット