陸軍兵卒・山中鹿蔵の死亡と埋葬についての記録
2010-12-07


禺画像]
山川招魂社に、西南戦争で亡くなった歩兵第九聯隊将兵の墓碑が16柱あるのを、ネットで見つけました。その際、同じ人物の墓碑と思われるものが2柱でてきました。それが「滋賀縣近江国甲賀郡三大寺村平民」山中鹿蔵の墓碑でした。
 2柱あることが不思議でしたから、名前が記憶に残っていたのでしょう。アジ歴の資料のなかから、偶然、この人物の死亡と埋葬についての記事を見つけました。
 これを読むと、いったん別な場所に仮埋葬して、あとで移葬したことがわかります。それが2柱ある理由でしょうか。しかし、同じ人物の墓碑を一つ別の墓碑をはさんで並べるのは異常です。
 内容から、いざ凱旋というときに、コレラで亡くなったことがわかります。なるほど、気がつきませんでしたが、死亡年月日は、西南戦争の終結後です。
陸軍省
内容 工兵第六方面ヘ御達案 後備第五大隊故兵卒山中鹿蔵一昨十年西南之役凱旋之際筑前刻山家駅ニ於テ虎列剌病ニ罹リ死込之末同所字本谷ヘ仮埋葬相成居候ニ付於其方面筑後国久留米茶臼山陸軍埋葬地ヘ改葬可取計此旨相達候事 但改葬入費ハ旧軍団会計部ヨリ可請取事 もうひとつ記事がありました。ほぼ同じ。 禺画像] 陸軍省
軍会事第四百六十七号 筑前国山家駅ヨリ久留米茶臼山埋葬地御改葬之儀ニ付伺 後備第五大隊第四中隊 故兵卒山中鹿蔵 一昨十年西南之役平定凱旋之際福岡県下筑前国山家駅ニ而虎列剌病ニ罹リ死亡之末同地山家村字本谷御仮埋葬相成居候由有ハ戦死同様取計可申儀ト被存候願@@最寄久留米字茶臼山埋葬地御改葬致度然ル処僅一名之儀ニ付工兵第六方面御依託レ改葬相成度候旁々便利ト被存候間有改葬方之儀同方面御達ニ相成度然シテ改葬入費之儀ハ非常金之内ヨリ御支払相成候様致度此段相伺候也 明治十二年二月十七日 旧軍団会計部副長監督川崎祐名 旧軍団事務所御中  私がほんとうに探していたのは、名古屋鎮台「朽木六蔵」少尉についての記事でした。あとでわかったことですが、山中鹿蔵は、この名前だけで記事が出てきます。朽木六蔵の場合は、出てきません。記録がない・・・ということなのでしょうか。
[西南戦争]
[陸軍墓地関係]

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