氷川隆夫『夏目漱石と戦争』(平凡社新書)
2011-07-03


氷川隆夫『夏目漱石と戦争』を紀伊国屋で手に取り、まえがきや結びにかえてなどを読んでいたとき、頭に浮かんだのは、ある映像作品でした。フランスのモンサンジョン氏が編集したスビャトスラフ・リヒテルをめぐる作品「Enigma」です。
 去年の秋ごろに、日露戦争の『戦時事績』を手に入れて、読んでいたことは、なんどか書きました。この事績を読み続けるのは苦痛です。当たり前だと思っていても、苦痛です。それは、戦争への無条件的な協力の姿勢に貫かれているからです。出征者の壮行会から始まり、慰問や募金、戦死者の弔いなど濃厚な社会ぐるみの活動が描かれています。もちろん、批判的な人や憤りの声はあったでしょうけれど、この事績からは無視されています。
 その息苦しさにいつもため息をつくのです。
 社会ぐるみの監視体制と人権抑圧という点では、ピアニスト、スビャトスラフ・リヒテル(1945〜1997)が生きた環境は、もっとも厳しいものの一つでした。たとえば、生粋のドイツ人である父は、スパイ容疑で処刑され、自らの演奏活動は様々な制約をうけ、監視されつづけました。リヒテルの凄味は、そのような不自由な生活を強いられながらも、「自由」であった点です。政治的な自由は、体制を打破しなければ得ることはできないでしょう。私は、そういうことを意味しているのではないのです。
 力では屈服させることのできない心の働きのようなものがいいたいのです。むき出しの暴力を目に前にして、また社会全体を覆い尽くす集団的な熱狂に抗して、「自由」であることは容易なことではありません。
 氷川隆夫氏の本を読んだとき、感じたのは、この「自由」の感覚でした。いかえれば、強まる国家主義のなかでそれと対決し、戦い続けた人がいることの救いでした。
  日清戦争、日露戦争以降の時代は、つねに戦争をしていて、治安維持法をはじめ国民への圧政で特徴づけられる暗い時代という印象を私はもっています。そういう時代に、漱石は、どのように生きたのか、著者が描きだす姿に興味津々です。
[本]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット