禺画像]
墓碑に刻まれた一見バラバラな日付と死亡場所を、第九聯隊と第二野戦病院の経歴と照らし合わせると、「1名の将校と14名の下士官、そして206名の兵卒」の死の具体的な状況が見えてきます。
これまでも引用しましたが、第4師団第二野戦病院の経歴書の全体を整理すると、つぎのようになります。
■明治27(1904)年
○12月 3日 動員完了
■明治28(1905)年
○ 2月25日 衛戍地出発
○ 同日 廣島到着
○ 4月12日 宇品港で乗船
○ 4月23日 柳樹屯に上陸
○ 4月24日 劉家店に進む
○ 同日 劉家店避病室を開設
○ 4月26日 沙家屯に至る
○ 4月27日 沙家屯舎営病院を開設
○ 4月30日 半部を沙家屯に残し、豼子窩に至る
○ 同日 豼子窩舎営病院を開設
○ 5月14日 唐家屯に至る
○ 5月29日 唐家屯を出発
○ 6月 9日 海城に到着
○ 同日 海城舎営病院を開設
○ 6月27日 小河沿で海城分避病院を開設
○ 9月15日 海城分避病院を??
○12月14日 柳樹屯で乗船
○12月18日 宇品港に到着
○12月20日 衛戍地に帰還
第二野戦病院が、4月24日に開設した「
劉家店避病室」と同27日に開設した「
沙家屯舎営病院」で亡くなった将兵については、これまでに名簿をつくりました。
それ以後について、死亡した将兵を挙げておきます。
禺画像] 4月30日に開設した「
豼子窩舎営病院」で亡くなったと思われるのは、死亡場所が「
豼子窩」と刻まれている以下の兵卒と下士官です。
5月27日 豼子窩 一等卒 竹原 國吉(163)
7月 6日 豼子窩 一等卒 伏木 清太郎(50)
7月30日 豼子窩 一等卒 西川 為吉(54)
8月 4日 豼子窩 一等卒 浅田 安之助(47)
8月 8日 豼子窩 一等卒 比澤 兼松(68)
8月25日 豼子窩 一等卒 安場 貝次郎(204)
9月 6日 豼子窩 上等兵 小西 留蔵(21)
9月 7日 豼子窩 二等卒 清水 健吉(75)
9月12日 豼子窩 一等卒 中田 留吉(2)
9月14日 豼子窩 二等卒 古田 栄次郎(209)
9月15日 豼子窩 上等兵 山口 晋吉(112)
9月18日 豼子窩 二等軍曹 山元 丑之助(B12)
9月22日 豼子窩 二等卒 藤村 留蔵(193)
10月 4日 豼子窩 一等卒 田辺 平吉(180)
10月13日 豼子窩 二等卒 小谷 友治郎(40)
10月28日 豼子窩 二等卒 伊藤 栄之助(129)
11月 1日 豼子窩 一等卒 大垣 欽三郎(211)
6月9日開設の「
海城舎営病院」で亡くなったと思われるのは、死亡場所が「
海城」と書かれている兵卒です。 これらの戦没者のうち、大橋卯三郎については、明治44年の『大津市志』の記述によって、
海城舎営病院で
マラリアで亡くなったことがわかっています。それはすでに紹介したとおりでした。
また墓碑に「
小河沿」と死亡場所が刻まれた墓碑がありますが、これは6月27日に第二野戦病院が小河沿で開設した「
海城分避病院」のことだと思われます。
7月 2日 小河沿 一等軍曹 阪井 〓一郎(B14)
7月 6日 小河沿 一等卒 善利 岩次郎(5)
7月 6日 小河沿 上等兵 奥村 徳蔵(58)
7月 6日 小河沿 輜重輸卒 細江 巳之助(130)
7月10日 小河沿 上等兵 池辺 喜市(157)
7月10日 小河沿 二等卒 梅本 門造(160)
7月12日 小河沿 輜重輸卒 藤田 芳治郎(171)
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